【地球に国境はない】本当の日本人初の宇宙飛行士とは

人生

皆さんは、エリソン鬼塚という人をご存知でしょうか。

未だに謎だらけであり、神秘的な

「宇宙」

1961年4月、人類として初めての宇宙飛行を成し遂げたガガーリン。

彼はその時に思わず発した「地球は青かった」という、誰もが知る有名な言葉を残しました。

スポンサーリンク

宇宙特派員:秋山豊寛氏

初めて宇宙へ行ったのは、1990年12月2日、当時TBSの社員だった秋山豊寛氏が旧ソ連のソユーズT M11号で宇宙へ行きます。

宇宙船ミールに乗り6日間滞在され、宇宙の様子を撮影し、生中継などをされました。

宇宙飛行士:毛利衛氏

毛利衛氏は宇宙飛行士としてNASAのスペースシャトルに乗ります。

1992年9月12日〜20日までの8日間、日本側の34テーマ、アメリカの7テーマ、日本とアメリカの共同実験2テーマの合計43テーマを軌道上で実施されました。

日系人は日本人?エリソン鬼塚

エリソン鬼塚はアメリカ合衆国ハワイ州ハワイ島コナ出身です。

父は福岡県出身、母は広島県出身で4人姉弟の長男(3番目)として生まれました。

地元のコナワエナ高校を卒業後、コロラド大学へ進学し、航空宇宙工学を専攻します。大学を卒業した後はアメリカ空軍の少尉を任官。

空軍エンジニアとして働きますが、アポロ11号の月面着陸のニュースを機に宇宙飛行士を目指します。

地球に国境はない

先に名前を出した秋山豊寛氏は、日本人で初めて宇宙へ行った人。

毛利衛氏はスペースシャトルに乗り宇宙へ行った初めての宇宙飛行士。

このお二人の前に1985年1月にNASAのスペースシャトル「ディスカバリー号」に乗り、宇宙へと行きました。

その初飛行の時に彼は宇宙から地球をみて

 「地球に国境はない

と言ったそうです。

この言葉は、日系人としてハワイで過ごした経験、父より聞いた第二次世界大戦での日系人の立場、様々な人種、性別、宗教、出身のクルーが集まったスペースシャトル。

そんな中で出た言葉なのかもしれません。

衝撃的な最後

日本人最初の宇宙飛行士、エリソン鬼塚。

その最後は皆さんも聞き覚えがあるのではないでしょうか。

1986年1月、スペースシャトル「チャレンジャー号」

打ち上げからわずか73秒後、突然爆発し39歳という若さで殉職します。

地球は一つ

今、世界中様々なところで宗教戦争、国家内外の戦争、あるいはテロなど各地で争いが絶えません。

私たちは1つの地球の中に共存しています。

同じ空の下、同じ空気を吸っています。

みんな同じ人間ですし、尊い命です。

宇宙から見た地球に国境、境目なんてありません。人種、性別、出身、これは宇宙からみると全てひとつ。地球は一つです。

仏教も人種、性別、出身、職業を越え、人が人として行きていく道を説いています。

尊くもいただいた命です。

生かしましょう

後筆

日系人は日本人ではないと言われる方もいるかもしれません。

私がハワイで学生の頃、日系人について学ぶ機会がありました。

 日本人でもアメリカ人でもなく、「日系人」と呼ばれる方達は、どちらとも取れない、また、どちらとも取れる表現で、特に戦時中は苦しい思いをされたそうです。

日系人も日本人。

このエリソン鬼塚は、私の故郷ハワイ島コナのヒーローであり、ハワイに移住した日本人たちの誇りになっています。

「地球に国境はない」

色々な境遇にあったエリソン鬼塚だからこそ出た言葉だったと思いますし、まさにその通りだと思います。

これは日常においても、誰かに負の感情を抱いた時、大きな視野で、広く見てみれば些細なことかもしれません。

目の向け方を変えてみると違って見えることもあるのではないでしょうか。

Follow me!

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました