前回は苦しみから解放されるためには、どんな苦しみがあるかを知ること。
その苦しみは欲と執着が原因であること。
それを断ち切らなければならないこと。
そして、それらを断ち切るには八正道の実践を行うことであるというお話をしました。
今回は八正道の内容についてお話いたします。
①正見(しょうけん)
正見とは、ものを「正しく見る」という意味です。
これはただ単に自身の肉眼で詳しく観察するという意味ではありません。
ものをよく見て理解し知ることです。
では、よく見て知るとは具体的にどうすればよいのでしょうか。
1つ目は因果関係を認めること、「因果観」です。偶然は存在せず、何か理由があってそこに存在しているということ、それを理解すること。
2つ目は「縁起観」と言い、どんなに多くの人々の働きや、自然などから恩恵を受けて存在しているのかを理解すること。
この因果観と縁起観を基本的な考え方として理解すると、正しい世界観を得られ、心や考え方、人生が正しい方向へ向かっていくということです。
正しい見方ができれば、正しい道を見極められる。
仏教の修行において正しい道が開かれるというわけです。
②正思惟(しょうしゆい)
第二の正思惟は「正しく考える」ことです。
正しいということは、極端に走らずにバランスのとれた状態だとお話を先にもしましたが、正しい考え方とは適度に適当な思考です。
お金がたくさんあったらアレを買おう、こんな事をしよう。
そんなことを考えたりしませんか?
そういった考え方を徐々に減らして無くしていき、正しくバランスのとれた考えができるようになろうということです。
自分の利益だけを考えず、また偏った人のためだけに全て尽くそうするのではなく、調和のとれた状態、みんなが幸せであるようにと心がけ、考えることが大事なのです。
③正語(しょうご)
第三の正語とは、「正しい言葉で正しく話そう」です。
そもそも言葉とは我々にとって切っても切り離せないものです。
しかしそれ故に使い方によっては、相手を喜ばせることもできれば、相手を傷つけることもできます。
したがって私たちは言葉を正しく使わなければいけません。
では、正しい言葉で正しく話すにはどうすればよいのでしょうか。
正しい言葉を使うためには、正しくない言葉を知ることです。
悪い言葉とは以下の4つに分けられます。
・妄語(もうご)
・悪口(あっく)
・両舌(りょうぜつ)
・綺語(きご)
妄語とは嘘や偽った話をすることです。
悪口とは陰口や人を罵ったりすることです。
両舌とは二枚舌とも言い、一方に話した内容とは違う内容をもう一方に伝えて不和を生じさせる行為です。
綺語とは媚びへつらい、機嫌を取るような無益で意味のない言葉です。うわべは綺麗な言葉でも、人を惑わす言葉です。
この4つの言葉を使わずに、真実を語り、融和的で温かい言葉こそがまさしく正語なのです。
④正業(しょうごう)
第四の正業とは、「正しい行為や行動をしよう」という意味です。
我々は生きている限り、必ず何かしらの行為や行動をしています。
この正業には2種類あります。積極的に自身がしなければならない行動と、自身が抑え、慎むべき行動です。
誰かのためになる善い行いは積極的にするべきですし、調和の取れない悪い行いは抑えるべきです。
正業の反対、悪業で最もよくお経でも目や耳にするのは殺生(せっしょう)、偸盗(ちゅうとう)、邪婬(じゃいん)ではないでしょうか。
殺生とは故意に生き物を殺すこと。
偸盗は他人のものと知りながら盗むこと。
邪婬とは不倫などの不貞行為(肉体関係)を行うこと。
これらはしてはいけません。
正しい行動をとり、正しい行いを心がけることが正業なのです。
前編のおわりに
今回は前編ということで正見、正思惟、正語、正業をお話しました。
正を行うには悪を知ることが大事なのだと思います。
何がダメであり、してはいけないのか。
それでも正しい見方で正しい考え方で正しい言葉で正しい行動をとれば、自分はもちろんあなたの周りも自然と善い輪が広がりそうに感じます。
次回の【連載】仏教ってなんだろうで、後編の八正道残りの4つを紹介しようと思います。
今回もここまでご覧いただきありがとうございました!
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